「Steidl Book Award Japan 2016」滞在制作レポート4

今日は、いよいよ本文のテストプリントが行われます。まずはゲルハルトから紙について、印刷についてのレクチャーを受けます。

「二人とも今回が初めての写真集になるので、具体的にどんな紙を使うのが良いか、君たちから提案するのは難しいのではないかと思う。まずは、僕がこの紙が良いのではないかと思うもので、作品を見て適していると思う印刷方法で刷ってみたいと思う。ただ、このテストはあくまで僕からの提案なので、自分の作品にふさわしくないと思ったときにはその意見を伝えて欲しい。」

 

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「印刷はレストランに例えることができる。一流のレストランでは野菜や魚、調味料など全て最高の素材を使っていて、それだけで素晴らしい料理が出来上がる。一方でスーパーで冷凍した素材を使ったりしていたら、料理は美味しくない。僕がやっていることも一流のレストランと同じで、全て最高の素材を使っているだけなんだ。あとは少しだけ経験値もあるかもしれないけれどね。」

 

「今回僕がやっていることは、1970年代の日本の印刷物へのオマージュだと考えている。当時の日本には優れた印刷技術があって美しい写真集が出版されていた。残念ながらその時代にあったグラビア印刷はなくなってしまい、印刷機も残っていない。僕はここでオフセット印刷機を使いながら日本のグラビア印刷にインスピレーションを受けた方法で、日本の紙文化から着想を受けた紙を用いて、日本の写真で写真集を作ろうと思っているんだ。」

 

「二人の作品は6版で印刷しようと思っている。3色の黒、2色のグレー、それにニス。どんな黒とどんなグレーを組み合わせるのかは印刷するもの全て違って、一枚の写真をどのように5つの色に分解するのか、各色をどんなバランスで印刷するのかも作品によって変わってくる。作品を見たときに頭の中でその組み立てをして、社内のイメージデパートメントで専門のソフトを使ってデータを整えて、刷版を作って、僕が指定した濃度で印刷をしているんだ。二人の作品の印刷準備はもう整っているから、早速テストプリントを見てみよう。」

 

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まずは鈴木さんのテスト印刷を確認、ゲルハルトの提案で非塗工紙にマットなインクで刷られています。非塗工紙とは、紙の表面に印刷の再現性を高めるためのコーティング加工がされていないので、インクが紙に染み込みやすく、再現性の高い印刷には向いていないとされていますが、鈴木さんのテスト印刷では黒は深く、中間色の階調も美しく表現されています。ゲルハルト曰く「1920年に実験されていて、当時はうまくいかなかった製法を使っているんだ。」とのこと、一般的には難しい非塗工紙への印刷が可能なのは紙とインクに隠された特徴があるようです。

 

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続いて平野さんのテスト印刷へと取り掛かります。まずは鈴木さんと同じように、3色の黒と2色のグレーで印刷。こちらも最初にできた段階ですでに美しい仕上がりです。ゲルハルトはそのテスト印刷を見ながら「グレーをシルバーに変更したものを試してみよう」と提案、オペレーターは早速グレーの壺を洗浄してシルバーのインクへと変更、10分ほどでグレーがシルバーに変わった刷り出しが仕上がります。「シルバーは普通のインクと成分が違うので、重なった時にうまくいかないことが多いけどこれは悪くない、この上に黒を重ねてみよう。」さらに新しいパターンが試され、数十分の間に仕上がりが異なる3種類の刷り出しができあがります。

 

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「このインクはしっかりと乾くまでに約12時間かかる、そうするとしっかりとマットな色調へと変化するから明日もう一度確認して、どのパターンで制作するかを決定しよう。」この3種類を候補にして次のテストプリントへと移ります。

 

平野さんは、前半と後半で違ったシリーズの作品が収録される写真集になります。先ほどテストをしたのは前半部分に使う印刷で、ここからは後半のソラリゼーション※ を連想させるシリーズのテストプリントです。先ほど仕上がった前半のテスト印刷とダミーブック見ながら「後半部分はセピアのような色調を試してみようかと思う」と、インクと刷版の交換に取り掛かります。しかし、すぐに違うアイデアを思いついたようで「これから実験的なことをやってみるから、どんなものが出来てくるか一緒に見てみよう」と、入れ替えるインクを変更し、印刷機を動かします。

 

※ソラリゼーション:写真の現像時における1つの現象。現像時に、露光をある程度過多にすることにより、モノクロの写真作品の白と黒が反転する現象。意図的に行われ、その結果、白黒が(部分的に)反転した作品のこともソラリゼーションと呼ぶ。(Wikipediaより)

 

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ゲルハルトが行っている作業を見ていると、シルバーで印刷された図版の上に異なる階調で黒が印刷された刷り見本が何種類もできあがっていきます。「ベースにシルバー2色で印刷した後に、黒を何色重ねるかの違いで、どんな表現になるのか試してみたのがこのパターンだ」と、4種類のテスト刷りが出来上がりました。「ソラリゼーションは暗室での科学的なアクシデントによって起こる現象だから、僕は印刷機でアクシデントを試してみたいと思ったんだ」。

 

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「Steidlが印刷でやっていることは、フォトショップの作業をアナログで行っているのに近い。むしろフォトショップが(暗室などの)アナログの作業をデジタルに置き換えたものだから、ある意味でSteidlはフォトショップマスターかもしれないね」

 

今回のテスト印刷では、色見本として持参していたプリントと比較しながら色味を調整するという作業は一度もなく、常に実験の連続で、その結果できた印刷物は暗室でもインクジェットでもデジタルプリントでもできない、紙とインクを使ったオフセット印刷にしかできない表現になっています。

「ある時点でオリジナルのことは全て忘れ去らないといけないポイントがある。それがとても重要なことなんだ。」

 

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印刷が複製物として作られている場合は、オリジナルに近づけることがゴールになり、印刷の表現はその近似値になります。しかしSteidlでは意識的に、印刷物自体が創意ある表現になることを追求しています。印刷の順番やインクの色の組み合わせ、そのバランスを現場で変えながら全く違ったバリエーションを生み出すことができるクリエイティブな印刷は、彼が常に現場で実験してきた蓄積によるもので、印刷に秘められた可能性を現場で体感する貴重な機会でした。